こうした手法は新聞社もよく使います。
たとえば、社説が載ってしばらくすると、ほぼ同じ内容の投書が読者欄に掲載されます。第三者である読者に代弁させることで、社論の補強作業を行うわけです。
あるいは第三者を捏造するテクニックもあります。
記事の最後に「今後波紋を呼びそうだ」「発言が問題視される可能性がある」などと付け加える。波紋を呼び起こしたかったり、問題視したいのは原稿を書いた記者ですが、こうして仮想の第三者を利用する形で煽れば、B層は脊髄反射的に激高してくれます。
| — | 『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』著者:適菜収 「B層」をキーワードに、ゲーテが予言した大衆社会の末路を読み解く! | 立ち読み電子図書館 | 現代ビジネス 講談社 (via itokonnyaku) |
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
| — |
自分の感受性くらい/茨木のり子 (via hanemimi) (via kommm) (via microwalrus) (via tomato-s) (via yuco) (via tsuda) 2009-02-24 (via gkojay) (via usaginobike) (via passionflower) (via mono-girl) |
要するに、「漢字の読み間違い」という批判のポイントが、B層の感性にしっくりきたんですね。経済や外交の議論は難しいので口出しできないが、漢字の読み間違いなら、自信を持って批判できる。「圧倒的な正義はわれにあり」というわけです。
麻生がホテルのバーに通っているという話も、B層に言わせれば「庶民感覚から外れている」ということになります。
| — | 『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』著者:適菜収 「B層」をキーワードに、ゲーテが予言した大衆社会の末路を読み解く! | 立ち読み電子図書館 | 現代ビジネス 講談社 (via itokonnyaku) |
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Twitter / おなす 2010-06-28 (via yuria, diphda) (via rrr-at) (via plasticdreams) (via skoei) (via futashika) (via reretlet) |
サイトをちょっと見てみたのですが、カレシの情報を見る為にサービスにログオンする必要がある?
収集データが一旦サイトに飛ぶって事はカレログ事務局とやらはカレシの個人情報抜き放題になりませんか?
メールや偽装リンクの代わりにカノジョ使うだけじゃ・・・
えー、コピペで出回ってるコレ。
「安心って言うのは車の後部座席で眠ることさ。前の席には両親がいて、心配事はなにもない。
でもね、ある時、その安心は消え去ってしまうんだ。君が前の席にいかなきゃならなくなるんだよ。
そしてもういない両親の代わりに、君が誰かを安心させる側になるんだ。」
by スヌーピー(ピーナッツ)
2ch なんでデマや超訳があるんじゃないかと信用してなかったけど、オリジナル発見。
http://www.snoopy.co.jp/clubhouse/greetings/form.php?card_id=8
http://www.thesneeze.com/2010/not-absolutely-never.php
やっぱり自分が前に座るってくだりは無いねー。
逆にそこをねつ造したヤツは天才だと思う。
前に移動するのを付け加えるだけなら翻訳の範疇だけれど、「君が誰かを安心させる側になるんだ」っていうのは新たな意味を持ち込んでる。
でもねつ造版の方が好きだわ。
| — | ねつ造された後部座席: しまけん Blog (via petapeta) |
18世紀後半、イギリスで、奴隷制度にからむ歴史的な事件が起こった。サマセット事件である。1765年、グランヴィル シャープなる人物が、通りがかりに、路上に捨てられた一人の黒人奴隷を見つける。この奴隷は、名をジョナサン ストロングといった。シャープに助けられたストロングは、自由の身となり職を得るが、ある日、元主人のデビッド ライルに発見される。ライルは、ストロングをつかまえ、奴隷市場に売り飛ばそうとした。それを知ったシャープは、 ライルをジョナサンに対する暴行の罪で訴える。一方、ライルは、他人の財産を奪った罪で、逆にシャープを訴えた。 この裁判は、厄介な問題をかかえていた。人権と財産権の問題である。人権思想が浸透しつつあったイギリスでは、奴隷を解放すべきだという主張と、それを認めれば、所有者から財産(奴隷)を奪うことになるという主張があった。一見、難しい問題にみえるが、論点ははっきりしている。奴隷を人と認めれば人権側が、奴隷を物とみれば財産権側が正しい。当初、シャープが圧倒的に不利と思われたが、1772年にシャープが勝訴する。たとえ、奴隷であっても、
「イギリスの地に一歩でも踏み入れれば、自由人となる」
画期的な判決だった。この判決により、イギリスでは多数の奴隷が解放されたが、逆に保護者を失うことになり、奴隷の生活はより悲惨なものとなった。
| — | 奴隷貿易Ⅲ~アメリカ奴隷制度の歴史~ (via 774) |
「これを理解できないなんて、自分は馬鹿なんじゃないか」
と考える。
無知に留まる人は
「これを私に理解できるように説明できないなんて、君は馬鹿なんじゃないか」
と考える。
| — | 私の子供を守るのは、武器を持たないあなたの手 無知と利口の分水嶺 (via petapeta) |
| — |
Twitter / 平川哲生 (via rpm99) (via kml) (via yjsk) (via nemoi) (via kondot) (via stratums) (via nagas) (via niseoshou) (via ssbt) (via n13i) (via halusame) 2010-05-06 (via yasaiitame) (via mcsgsym) (via ginzuna) (via bbk0524) (via petapeta) |
人の仕事には敬意を払おう
音楽だけではなく、映画や小説、絵画、スポーツなどの分野も同じだと思いますが、商品として売っていく中で「世の中を変える世紀の傑作」とか、「数百万人を感動させた」と誇大宣伝を打つケースが少なくない。さらに、多くの媒体や評論家と呼ばれるような存在も巻き込んで、過大評価を流布する例もたくさんあります。そのこと自体はビジネスなので仕方がない。
それは内容とは別の問題なのに、宣伝ほどじゃないとか、過大評価が気に入らないと思う人々が、今度は批判を浴びせます。そういう過大な称賛と不必要な批判が錯綜(さくそう)し対立するたびに、文化は傷つき、人の気持ちもすさむように思えます。
僕は58歳になり、この年齢になってどうにか、的外れな批判を気にせずに生きられるようになりました。できることなら、今の若い人にはそういう周囲の雑音に負けないで仕事をして欲しいと思っていますが、残念なことに、今はそれがとても難しい時代です。厄介なことに人間は、千の賛辞の中の一つの罵倒をすごく気にする動物なので、その中で冷静に自分の仕事を自己評価することは至難です。まして、自己の克己心だけでその苦しさを乗り越えていくことはさらに難しい。
だからこそ職種を問わず、仕事人になったら、好き嫌いと良しあしをきちんと区切って、他者の作品や仕事への敬意を払わねばなりません。一つの作品が形になるまでに費やす時間や労力は半端なものではありません。良しあしや好き嫌いがあるのは当然ですが、度を超した評価や批判は、文化自体をも曇らせていくものです。


